1988年 全日本250クラス苦戦
本拠地が東京にある為、
横浜に移り住むことになった。
レースはTZ250がこの年から後方排気となり1年目ということもあり、性能があまり思わしくなかった。
バイクの状態を探りながら前半戦苦戦し、後半戦には結果も出てきた。
しかし、チームが1年で解散してしまい、翌年の席を失ってしまう。
加藤はあせった。
行き場を失った加藤はレースを辞めることを考えていた。
その時、アールエスタイチが商品の開発とテストをできる人材を探していると聞いた。
加藤はアールエスタイチのレーシングスーツを使っていたので、
知人を通し話し合いの末商品の開発とテスト、
各レースのレーシングサービスの仕事をしながらレース活動を継続しても良いと返事がきた。
11月のことだった。
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